白蓮華堂からのお知らせ

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  • 2020.05.27

    YouTube配信記念「一口説法」第四弾

    先回は地獄についてのお話でしたが、地獄に対する極楽といいますと、楽しいことばかりあり、いい事ばかりがあり、何でも欲しいものがすぐ手に入る世界だ、という誤解があります。
    しかし仏教では、楽しみばかりあって何でも欲しいものが手に入る世界というのは、極楽浄土ではなくて、天上界であり、所詮は、人間のエゴイズムの延長線上にある迷いの世界であると説きます。天上界と極楽浄土とは全く次元の異なる世界なのであります。

    真宗でいう極楽浄土は、苦しみや楽しみを超越した世界であり、苦楽ということすら問題でなくなってしまう広い広い世界であります。

    人生は、楽しいことも苦しいこともその両方があって味合いがあるのです。

    苦しいことは向うへ行ってくれ、楽しいことだけが私の方へ来てくれという生き方や考え方だけで暮らしていますと、本当の人生の味合いや深さを知らないまゝに、かけがえのない時間が、いたづらに過ぎ去ってしまいます。自分の本当の人生は生きていないということになります。

    私が尊敬する人に、金子大栄という先生がおられました。今は故人となられましたが、そのお方が常に、次のような言葉をのべておられました。

    「悲しみを知らない者は、真実に人生を知る者ではない。涙なくしては、感じられぬ世界があるからである。」

    人生には色々な苦しみや悲しみが訪れます。最愛の妻や夫に先立たれた人。恋人の愛を失って失恋のいたみに胸を切り刻まれている人、ひとりっ子を亡くして茫然自失している人、他人にだまされて、くやしさに心をかきむしられている人など。だけど、そういう苦悩のまったゞ中に、今こうして生きており、生き続けていこうとしている私の生命がある。
    私の苦しみや悲しみの想いを越えて、如来さまからいたゞいた生命が、今こうして私の奥底で、生き続けている。

    どうして私の人生を粗末に生きられましょうか。

    人生は一回的であり、人間に生まれたことは、この上ない尊いことだと受け取らせていたゞいた上は、毎日毎日の一瞬一瞬を、悲しみは悲しいように、楽しみは楽しいように、限りなくいつくしんで生きていくことが大切であります。

0120-517-177