白蓮華堂からのお知らせ

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  • 2020.05.17

    YouTube配信記念「一口説法」第三弾

    前回の「人間に生まるること、おほひなるよろこびなり」で、三悪道、三つの悪しき世界、地獄、餓鬼、畜生の話がでてまいりまして、これら三悪道をはなれて人間界に生まるることおほひなるよろこびなり、と宣言された一千年前の日本のお坊さん源信僧都の言葉を紹介しました。

    「身はいやしくとも畜生におとらんや、家は貧しくとも飢餓にまさるべし、心におもうことかなわずとも地獄のくるしみにくらぶべからず」とその言葉は続きます。

    最近も、ある新聞の編集長をしていらっしゃる門谷さんという方が、私の所へインタビューに来られまして、「地獄という世界、極楽という世界が本当にあるのですか」と真先きに聞かれました。

    地獄とは、人がその生きている間に行なう業によって造り上げていく世界です。
    昔から「業が深い」という表現をいたしますが、業が深く、罪が重ければ、その人の行き着く先には、無限に深い暗い世界が待ち受けているのです。

    地獄が有る無いの問答以前に、私どもが人間として生きているこの事実の直下に、無限に深いくらやみの世界が待ち受けている。

    私どもが生きているということは、まるで宙にさしかけられているような、危ない存在にすぎないという実感が、どこかで感じられている必要があるのではないでしょうか。

    地獄の世界は、人間業のあり様によって、その業の重さの中に、限りなく底深く展開していく世界であります。
    地獄界は、人生をたゞいたづらに、何となく過してしまう人には理解できない世界であり、人生を一歩深く掘り下げて味合っていく人にして、始めてよく感じられる世界であります。

    言いかえれば、地獄の世界が感じられる人は、人生を深く味合って生きている人なのであります。人間生活の真下に、地獄のくらやみを感じられる人は、逆に、くらやみを感じ、くらやみを眺められる身になったということであります。智慧のまなこ、心の眼を聞きつゝあるということであります。

    親鸞聖人の歎異抄に「地獄は一定すみかぞかし」「地獄におちたりとも後悔すべからず」とありますが、恐しい地獄の世界が、そのまゝ救いの世界に直結していることを、知らしていたゞきましょう。

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